出会いは必然 人と人の大切な縁は貴重な一期一会
人と人は十人十色です。 一人として同じ人はいません。
そして人は大切な人と出会える奇跡を信じてみたいのです。
出会いの不思議と、繋がる縁。
どんな縁があるのでしょうか? 詳しく見てみましょう。
①人はすべて一人一人違う
人と人とは当たり前のことかもしれませんがすべて違う生き物です。
十人十色とはよく言ったもので、みんな違うから良くも悪くもあるのです。
成人した大人であれば大体の価値観や、恋愛観も自分の中で見えてきます。
そんな中、知り合い恋をした相手がいれば、相手の全てを知りたい、理解したいと
強く思い始めてきます。
しかし、今まで別の環境にいた考え方も主義も違う二人を、すり合わせて行くのは
容易ではないと推察します。
出会えた人とうまく価値観が合わないときには、無理に合わせるのではなく
人はすべて違うのだから。と一呼吸置いて接してみてはいかがかと思うのです。
激昂するときも涙を流すときも、まったく自分とは違う人と一緒にいて、
価値観のすり合わせを行っていると思えば少し楽になれるかもしれません。
時代とともに、家族であっても「人はすべて違う」ということに気づけない人も
増えてきていて、これは個の尊重もなにもない悲しい結果であります。
②どんな人とも縁を大切に
人生で一体私たちは何人の人と接点を持つことになるのかと思うとなかな
か気が遠くなる話です。
ただそれを疎ましいと思うか、奇跡だと思えるのかは自分の人生の主人公で
ある自分が決めることでありまた自分にしか決められないことでもあります。
「一期一会」という言葉を誰しも聞いたことがあるのではないかと推測します。
まさにその時のその瞬間、何らかの接点を持つことができた相手を一期一会の
精神で、どんな人とも大切に付き合うことが出来たら人生の輝きはより一層
増してくるはずです。
どんな人も大切な生命体であり、みな自分の人生を主人公としていきています。
それを忘れず、出会いを大切に生きている方が運命の相手との繋がりも見えやすく
なってくるはずです。
③人との出会いが人生を変える
この日のこの時、このタイミングで出会った人がいたからこそ自分の人生は変わったと
いうことが連続して人生は成り立っていると言っても過言ではないはずです。
学校、職場、おいては産まれてから一番初めに出会う家族が一番の人生の出会いであり
人との出会いがすべて人生を変える分岐点であり、出発点でもあります。
ふらりと立ち寄るいつものお店で店員さんと話しに花が咲き、友達になるというのも
ひとつの出会いです。
そこからそのお店にはその店員さんに会いに行く場としての意味合いもできて、行動を
するようになるかもしれません。
それが恋愛の入り口になるという人もいるかもしれません。
それまでの自分の人生にはなかった行動が生まれるとき、まさに人との出会いが
人生を変える分岐点になっていたと言えます。
人生は出会いという名の奇跡の連続です。
その連続が自分という人の生きる道を作り、人生を変えて行くのです。
④出会ったことが必然
人との出会いで一番の必然であり、皆が確信している必然というものがあります。
それは自分の両親が出会い、自分という存在を作ってくれたことに他なりません。
まず、自分の父と母が出会わなければ誰しもがここには存在していません。
そこから人生を歩みだし、両親とは離れてしまう人や、自分の人生など消して
しまいたいと願うほどの壁に当たってしまう人もいるかもしれません。
でも、そんな悩みもまずは自分が生きている奇跡や必然から成り立っているのです。
無駄な出会いというものはこの世の中、ひいては自分の人生において一つもない
ものなのかもしれません。
全て、出会ったことが必然であると考えた方が人生は豊かなものになります。
恋愛をして、一生を誓った人と離れてしまうことになってもその恋愛がなければ
次の恋愛はなかったと考えれば、それは必然的な出会いであったと言えます。
そんな連続があり、本当に結ばれるべき人といつか必然的に出会い、また別の奇跡的な
子宝に恵まれるというのがみなさんの夢にみる、一般的に言われる「結婚」では
ないでしょうか? 本当に奇跡の連続です。
こう考えてみると、当たり前の幸せというものは存在しないのかもしれません。
必然的な出会いを重ね、その奇跡を尊ぶ人に幸せはやってくるのです。
⑤縁がある人が出会う
「縁」という言葉を耳にするとき、皆さんが思い浮かべるのはどのような人との
繋がりでしょうか。
これほど繰り返される人生においての、出会い・別れの中で出会った人たちとは
全て縁があったのかと不思議になります。
しかし、今こうして自分が自分なりの価値観や恋愛観の中で生きる中で、
今まで出会った人たちとはやはり縁があったのだと推測します。
「袖振り合うも多生の縁」というような言葉があります。
昔の人は、着物の裾がすれ違いざまに誰かに当たるだけでも、その日のその場所で
すれ違った人と縁があったと考えていました。
例えば前世といわれるようなものであったり、現世ではないどこかでその人と
会っていたのではないかという言葉です。
まさに縁がある人が出会う、と私たちは考えてきました。
恋愛においての出会いを用意する場も昔から日本には存在し、「縁談」「ご縁」と
いう言い方で表されていました。
今現在の、コイカツや婚カツというものの原点であり、その根底には縁というものが
あると確信されています。
縁は生まれたり作るものでありまた、そこに存在するものです。
どんな縁であっても無駄にせず、奇跡と受け止めて大切にできる人がより多くの縁を
引き寄せるはずです。
皆違う生き物である事を理解し、縁を大切に一期一会を奇跡として大切に生きて
来た人に素晴らしい運命の出会いが訪れると確信しています。